こんにちは、
ともやんです。
吉田秀和の名著「世界の指揮者」の中のクナッパーツブッシュの項に次のような文章があります。
ウィーンフィルとの練習時の逸話に対して吉田氏の感想を書いています。
“「この曲は諸君もよく御存知だし、私もよく知っている。だから、別に練習するにも当たるまい。今日はこれで帰る」といったという話は、どこまで真実で、どこまで誇張されているのか、私は知らないが、とにかく、これはその時譜面台にのっていた曲が、オーケストラも指揮者も、これまでいやというほどくり返し手がけてきたものであったことを前提としていればこそ、話になるわけで、だからといってクナッパーツブッシュが、どんな場合も、何の準備もせず、演奏にとりかかったということにはなるまい。”
実は、吉田氏が取り上げている逸話の元が分かりましたので、次にご紹介します。
クナッパーツブッシュとウィーンフィルとの出会い
ハンス・クナッパーツブッシュが、初めてウィーンフィルを指揮したのは、1929年のことでした。
その後、半世紀近くに渡り、両者の付き合いが続き、210回のコンサートを行い、ウィーン国立歌劇場でもそれこそ無数の演奏を行っています。
しかし、クナッパーツブッシュとウィーンフィルとの関係は、最初の出会いに象徴されていると思います。
1929年のザルツブルク音楽祭で両者は初めて出会いました。
プログラムは、モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ファリャの「スペインの庭の夜」、フランケンシュタインの舞踏組曲が前半、後半がベートーヴェンの「英雄」でした。
さて両者は初めての演奏会にあたり、練習を始めましたが、クナッパーツブッシュは、前半の曲だけ練習して、「英雄」については、「あなた方は作品を知っており、私もスコアを知っています」と言い、リハーサルを拒否したのです。
当時のヴァイオリニスト、オットー・シュトラッサーは、「その晩クナッパーツブッシュは、リハーサルなど必要ない、という自信に満ち溢れていました。」
当時41歳のクナッパーツブッシュは、既にブルーノ・ワルターの後任として1922年からミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の音楽監督を経験していましたが、凄い自信です。
その後、クナッパーツブッシュは、ナチへの反抗的な態度でミュンヘンで演奏出来なくなり、ウィーンに活躍の場を移しました。
戦後もその奇人的な振る舞いや、毒のあるユーモアを吐いたりと、多くの敵を作り、カラヤンからは特に嫌われ、カラヤンがウィーン国立歌劇場とザルツブルク音楽祭の音楽監督になってからは、その機会を奪われてしまいました。
しかし、ウィーンのファンやもちろんウィーン・フィルのメンバーからは愛され、終生友好関係を保ち続けました。
ウィーンには、そんな奇人、変人を受け入れる懐の深さがあったんでしょうか。僕は、まだウィーンには行ったことがありませんが、生きている内にぜひその地を訪れたいと思っています。
クナッパーツブッシュ&ウィーンフィル ブルックナー交響曲第3番
クナッパーツブッシュとウィーンフィルのよるブルックナー交響曲第3番の決定盤は、1954年の録音がベストです。
モノラルながら、デッカの録音のすばらしさが堪能できます。
福島章恭著「交響曲CD 絶対の名盤」の中で、この演奏と録音を絶賛してます。
以下、その文章を引用します。
“匂い立つようなウィーン・フィルの弦、心の郷愁を掻き立てられる木管群と、ときに柔らかでときに怒涛の迫力を見せる金管群。それら多彩な音色の分離と配合は神業ですらある。”
また、60年のライブ盤も捨てがたい魅力あります。演奏の開始が、拍手が終わる前に始めてしまうところなんか、クナらしいです。
アントン・ブルックナー – Anton Bruckner (1824-1896)
交響曲第3番 ニ短調 WAB 103 (1890年レティッヒ出版譜)
Symphony No. 3 in D Minor, WAB 103 (1890 version, ed. T. Raettig)
1.(19:02) I. Gemassigt, mehr bewegt, misterioso
2.(14:01) II. Adagio. Bewegt, quasi andante
3.(07:17) III. Scherzo: Ziemlich schnell
4.(13:12) IV. Finale: Allegro
total(53:32)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
ハンス・クナッパーツブッシュ – Hans Knappertsbusch (指揮)
録音: April 1954, Vienna
ブルックナー: 交響曲第3番, 第4番「ロマンティック」, 第5番; ワーグナー: ジークフリート牧歌<タワーレコード限定>
クナ&ウィーン・フィルの、DECCAレーベル全ブルックナー録音曲をカップリング。至高の名盤!
1947年に戦後の指揮活動を再開したクナッパーツブッシュは、DECCAレーベルにステレオ初期まで継続的に録音を残しました。それらの中でもとりわけ重要な録音として認識されているのが、ウィーン・フィルと行ったこれらのブルックナー録音でしょう。1954年の第3番から始まった録音は、1年毎に行われ、結局第5番まで録音されました。このステレオ録音でも残された第5番は、カットされたシャルク版を使用していながらも、現在でもクナッパーツブッシュを代表する重要な録音のひとつとして君臨し続けています。それはまさに巨大な神木に例えられるほどの至高の演奏です。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
ハンス・クナッパーツブッシュ – Hans Knappertsbusch (指揮)
録音: 14 February 1960, Live Vienna
Bruckner: Symphony No.3 ハンス・クナッパーツブッシュ 、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
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1960年のライブ録音は、ウィーン・フィルの音色とバランスの妙において貴重な価値をもつ録音です。緊張感と寛いだ雰囲気が理想的に融合しています。
最後に
クナッパーツブッシュは、日常使う言葉の汚さは有名だったようです。
こんな逸話が残されています。あるリハーサルの最中に女性歌手が、クナッパーツブッシュから、「馬鹿な羊だ」と怒鳴られたと主催者に訴えたそうです。
主催者は、先生そんなこをおっしゃったのですか?
と尋ねたところ、
クナッパーツブッシュは、平然と、
「俺は、バカな豚だと言っただけだ・」
と答えたそうです。
今なら、パワハラ、セクハラで訴えられると事でしょうか。
寛容で、懐の深い時代だったのでしょうか?
それともクナッパーツブッシュの人柄が、それを上回っていたのでしょうか。
どちらにしろ興味深い人だったことは確かです。
ハンス・クナッパーツブッシュ CD ベスト10 タワーレコード編
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