フルトヴェングラー 戦時中のベートーヴェン 第4、5番&7番

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こんにちは、
ともやんです。

フルトヴェングラーの悲劇、いや当時の音楽家の多くがそのキャリアに多大な影響を受けた第二次世界大戦。

フルトヴェングラーは、その発端となったナチスドイツのおひざ元でベルリンフィルの首席指揮者と務めていたので、その圧力と心労は、言語を絶するものがあったと想像できます。

ナチスが政権を取ったのが1933年、そして敗戦で崩壊するのが45年。
フルトヴェングラーは、40代後半から60歳直前という音楽家としてもっとも脂の乗っていた時期でした。しかも敗戦後、戦犯容疑で約2年間の活動が禁止されていたので、結局復帰してからは7年間の活動しかできなかったのです。

そんなことで、音楽家として絶頂期だった戦時中の演奏は、当時の緊迫した世相と相まって鬼気迫るものがあります。

ベートーヴェンの交響曲第4&5番の1943年6月と第7番の43年10月の実況録音盤は、そんな状況を伝える貴重な記録です。

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フルトヴェングラーはなぜ亡命しなかったか?

フルトヴェングラーは、最終的には1945年2月7日に辛くもゲシュタポの追跡を振り切ってスイスに亡命しています。

しかしなぜこんなぎりぎりまでドイツに留まったのか?

それは、同じ指揮者でもワルターやクレンペラーと違いユダヤ系ではなかったの直接的な迫害や嫌がらせがなかったというのが大きな理由と思います。

色々調べるといろんな憶測があるようです。
ただ、フルトヴェングラー自身、ある程度の保障はされていたようです。例えば、『カラヤンとフルトヴェングラー』中川右介著では、次のような内容が書かれています。

ナチ政権で宣伝・広報を担当していたのがゲッペルス。

ゲッペルスは、フルトヴェングラーをはじめとする指揮者たちに、政治的に重要な国や地域への客演旅行や、式典での指揮は、あくまで「依頼」されて演奏をしているという姿を対外的に見せたかったのです。

しかし、このゲッペルスの姿勢に反対する機関もあり、そんな国家の重要事は、単に命令すればいいという考えを持つ者もいました。

しかし、ゲッペルスは、拒否できない命令同然の依頼であっても、指揮者は自分の判断して決めていると表向きは見せたかったのです。

つまりドイツにも自由はあるということを見せたかったのです。
そういう意味で、ベルリンフィルの首席指揮者であり、ドイツ音楽界の顔とも言うべきフルトヴェングラーには、ある程度の自由を与えたと思われます。

フルトヴェングラーは、ヒトラーの誕生日公演などを理由を付けて拒否したりし、政権内部から不穏分子と見らえながらも、ゲッペルスのそのような姿勢から、弾圧されているという自覚がなく、それで亡命という意識も働かなかったのかなと思います。

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フルトヴェングラー ベートーヴェン交響曲第4・5番 1943

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第4番 変ロ長調 Op. 60
Symphony No. 4 in B-Flat Major, Op. 60

1.(11:09) I. Adagio – Allegro vivace
2.(12:02) II. Adagio
3.(05:32) III. Allegro molto e vivace
4.(07:00) IV. Allegro ma non troppo
total(35:43)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音: 27-30 June 1943, Berlin, Germany

————————————–

交響曲第5番 ハ短調 「運命」 Op. 67
Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67

5.(08:03) I. Allegro con brio
6.(10:50) II. Andante con moto
7.(05:54) III. Allegro –
8.(08:09) IV. Allegro
total(32:56)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音: 27-30 June 1943, Berlin, Germany

ベートーヴェン: 交響曲第4番、第5番 「運命」 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

このCDは、歴史的な演奏を中心にその復刻盤を手掛けるGrand Slamの製作です。主宰する盤鬼こと歴史的な名盤の復刻に命を賭ける音楽評論家平林直哉氏。

以下、平林氏のコメントです。

フルトヴェングラー&ベルリン・フィルの1943年6月、ベートーヴェンの交響曲第4番、第5番「運命」のオープンリール・テープ復刻の登場です。
この2曲はLP復刻の実績はなく、当シリーズ初復刻となります。なお、ベートーヴェンの第4番は同時期に2種の録音が存在しますが、このディスクは全楽章ライヴのものです(全楽章放送録音版はGS-2020として復刻済み)。

解説書にはフルトヴェングラーの練習風景を描いた「もう5分だけお願いします、皆さん!」を掲載しています。これは2012年に発売したベートーヴェンの「英雄」(GS-2076(廃盤))に初めて掲載したもので、空襲警報でフルトヴェングラーとベルリン・フィルの団員が地下室に避難する様子を描いたものです。

筆者は匿名ですが、内容から察するに楽団員もしくは団の役職らしく、その現場に居合わせた人物でなければ書けない生々しさがありますし、時期的にこの2曲の演奏と重なります。

恐らく、多くのフルトヴェングラー・ファンはこの2種の演奏のディスクをすでに複数お持ちだと思いますが、音質的な面と解説書の内容とで、新たにライブラリーの加えていただく価値はあると自負しています。

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フルトヴェングラー ベートーヴェン交響曲第7番 1943

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第7番 イ長調 Op. 92
Symphony No. 7 in A Major, Op. 92

1.(12:46) I. Poco sostenuto – Vivace
2.(09:54) II. Allegretto
3.(08:27) III. Presto, assai meno presto
4.(06:37) IV. Allegro con brio
total(37:44)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音: 31 October – 3 November 1943, Berlin, Germany

ベートーヴェン 交響曲 第7番 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

以下、平林直哉氏のコメントです。

■GSシリーズ初のメロディア盤復刻
組み合わされた交響曲第7番は戦時中の演奏で、メロディア/ユニコーン系音源としてはあまりにも有名です。復刻に使用したのは最初期のメロディア盤で、そのLPに刻まれた情報を限りなく忠実に再現しています。なお、GSシリーズでのメロディア盤復刻は初めての試みとなります。また、このディスクは2002年にCDRレーベル(Serenade SEDR-2008/廃盤)で発売したものの流用ではなく、全くの新マスタリングです。

■交響曲第7番の欠落について
オリジナルのメロディアLPには第4楽章の冒頭に欠落があることが知られています。これまでは再現部をコピーしたり、あるいは“新発見”とされる音源を加えて修正を施したものが多数出ていますが、歴史的な事実を忠実に復刻するという観点から、このディスクではあえて修正を加えずに復刻しています。

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