こんにちは。
ともやんです。
カール・シューリヒト(1880-1967)は、現在ポーランド領ダンツィヒに生まれました。家は数世代にわたってオルガン製作を業としていました。ただ父親は彼が生まれる数週間前に溺れかけている友人を救うおうとして命を落としました。
ただ、彼の家庭は、祖父、叔父、叔母、従兄弟たちと共同生活をしていてその家庭はまことに温かく明朗であり、日曜日には馬車を数台借り切って家族全員が郊外に出かけ、バッハやメンデルスゾーンの合唱曲をよく歌ったそうです。
しかも母親が優れた歌手で、ピアニストだったためシューリヒトは、幼少の頃からヴァイオリンとピアノを習い始めました。
その後、ダンツィヒを去り、ヴィ―スバーデンに移住しましたが、叔父が破産したため13才からアルバイトをしながら家計を助け14才でオペラを2曲書いて、認められパトロンが付き、どうにか暮らしていけるようになったそうです。
シューリヒト ベートーヴェン 交響曲第3番”英雄”
シューリヒトは、20才を過ぎた頃から指揮者として一生を過ごしたいと願い、マインツの劇場の見習いから入り、ドイツ地方都市の劇場の楽長を歴任し、1909年フランクフルトのオラトリオ協会の指揮者に選ばれるまでになりました。
次に第2の故郷ともいうべきヴィスバーデンの音楽総監督を12年から44年まで、実に32年の長きにわたって務めあげました。
53年ヴィ―スバーデン交響楽団の80周年記念で、この地の名誉市民に推されました。
シューリヒトの経歴は決して華々しいものではなくその芸風も通向き玄人好みの芸術家でした。
そのためかその演奏の素晴らしさを知ると離れられなくなるものです。
さて、シューリヒトはベートーヴェンを得意としてパリ音楽院管との全集をはじめ多くの録音が遺されています。
その中でも第3番”英雄”は、6種類残されています。
①1941年 ベルリンフィル
②1952年 シュトゥットガルト放送響(ライブ)
③1957年 パリ音楽院管
④1961年 ウィーンフィル(ライブ)
⑤1963年 フランス国立菅(ライブ)
⑥1964年 ベルリンフィル(ライブ)
僕が一番おすすめしたいのは、⑤フランス国立菅とのライブ録音です。
シューリヒト ベートーヴェン 交響曲第3番”英雄” おすすめ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」 Op. 55
Symphony No. 3 in E-Flat Major, Op. 55, “Eroica”
Ⅰ(15:08)Allegro con brio
Ⅱ(14:48)Marcia funebre.Adagio assai
Ⅲ(05:29)Scherzo.Allegro vivace
Ⅳ(12:02)Finle.Allegro molto
カール・シューリヒト指揮
フランス国立管弦楽団
録音:1963年5月14日
なんと言っても、優秀なステレオ録音です。しかもたっぷりと膨らみと奥行きのある音質が嬉しく、シューリヒトの至芸が堪能できます。
ライブと言えどもシューリヒトも録音当時82才の高齢。しかし演奏は若々しく恰幅がよく造形も響きも明瞭そのものです。
シューリヒトは、ウィーンとパリで特に人気が高かったそうですが、パリの観衆の終演後の熱狂も伝わってきます。
コメント