フルトヴェングラー ベートーヴェン交響曲第1番 1954

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こんにちは、
ともやんです。

フルトヴェングラーの指揮によるベートーヴェン交響曲第1番の録音は、次の5種類残されています。

①アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 1950年7月13日
②ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1952年11月24日、27日~30日
③ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1952年11月30日
④シュトゥットガルト放送交響楽団 1954年3月30日
⑤ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1954年9月19日

フルトヴェングラーは、亡くなる年の1954年にベートーヴェンの交響曲第1番の素晴らしい録音が2種類残されています。

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フルトヴェングラー 1953年後半

フルトヴェングラーは、1954年11月30日に肺炎で亡くなっています。2年前にも肺炎になりしばらく療養していました。

つまり60歳半ばを過ぎたフルトヴェングラーは、仕事での無理はあまり効かなかったと推測されます。
しかし、記録でみるとこの54年は、生き急いでいるのではないか、と思われるくらいハードな日程をこなしています。

フルトヴェングラーの指揮活動は、前年10月下旬にローマでプロジェクトに取り組んでいました。ワーグナー『指環』の公開録音と放送でした。俗に『ローマの指環』と呼ばれるこの録音は、EMIでウィーン・フィルを指揮して行う予定の『指環』全曲録音のリハーサルとして位置づけられていました。

無事に終わったのが11月27日。ほぼ3日ごとに一幕ずつ演奏されました。
この頃、指揮活動と並行して行っていたのが自身の交響曲第3番の作曲。

本人としては仕事を減らしたいのだが、12月にベルリンとウィーンでも仕事があり、頼まれると断れない優柔不断な性格で、結局他の仕事も引き受けて自分自身で作曲の時間を削ってしまっている。
こんな話を聞くと、当時のマネジメント体制はどうなっていたのかと思うが、もしかして適当だったのかもしれません。

それでもなんとか54年3月始めまで指揮活動は休めました。その期間に交響曲第3番の作曲を進めました。

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フルトヴェングラー 1954年前半

53/54のシーズン後半は、3月12日のフィルハーモニア管への客演で始まりました。この後、空路で南米のベネズエラに向い、カラカスで現地のオーケストラを指揮しました。
しかもその5日後の26日にはスイスのチューリヒで客演指揮しています。
今から70年近く前の交通事情を考えれば、なかなかハードなものだったと思います。

僕も会社員時代、海外出張を何度も経験しましたが、移動は仕事とは違う疲労を伴うものでしかも海外となると時差も違うので、身体にとっていいはずはありません。

チューリヒの後3月30日はシュトゥットガルト、4月1日と2日はハンブルクでベルリン・フィルと合流して、一緒にベルリンに帰り4日から6日までコンサート。
その後は、ウィーンに移動し10日から17日まで5回のコンサートをこなしました。

再びベルリンに戻ると4月25日から3日連続でコンサート。
そして4月28日から約1ヶ月間に渡るベルリン・フィルのツアーに出掛けました。
結果としてこれが最後のツアーとなったわけです。

公演を行った都市を列挙してみます。
ハノーファー、ビーレフェルト、ケルンとドイツを周り、リヨン、ジュネーブ、ローザンヌ、ミラノ、フィレンツェ、ペルージャ、ローマ、トリノ、ルガーノ、チューリッヒ、フライブルク、ドイツに戻ってバーデンバーデン、カールスルーエ、マンハイム、カッセル、そしてベルリンに戻りました。
ベルリンでは5月23日から3日連続のコンサートを行い、30日ではウィーン・フィルも指揮しています。果たして半年後に死を迎える人とは思えない強行です。
しかもこれで終わりではなく、6月にはジュネーブとローザンヌでスイス・ロマンド管に客演しています。

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フルトヴェングラー 最後のコンサート

54年7月半ばまで休めたフルトヴェングラー。
後半からはザルツブルク音楽祭が待っていました。しかもその合間を縫ってバイロイト音楽祭、ルツェルン音楽祭にも出演し、再びザルツブルクに戻って残りのオペラやコンサートを指揮しました。

9月6日は、ブザンソンで放送管弦楽団に客演し、ベルリンに戻り、芸術週間を迎えました。その中で9月19日と20日にベルリン・フィルとコンサートを行い、自作の交響曲第2番とベートーヴェン交響曲第1番のプログラムでコンサートを行いました。

なお、このコンサート後に夕食を共にしたフルトヴェングラーの伝記を書いたクルト・リースに「ベルリンで指揮をするのはこれが最後だ。」と言ったと伝えられています。

フルトヴェングラーは結果として最後となったベルリンでのコンサートの後、ウィーンに行き、EMIとのワルキューレをウィーン・フィルと録音。終わったのが10月6日。
結局これが最後の演奏で録音となったのです。

フルトヴェングラー ベートーヴェン交響曲第1番

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第1番 ハ長調 Op. 21
Symphony No. 1 in C Major, Op. 21

1.(08:02) I. Adagio molto – Allegro con brio
2.(07:14) II. Andante cantabile con moto
3.(03:58) III. Menuetto – Allegro molto e vivace
4.(06:24) IV. Finale: Adagio – Allegro molto e vivace
total(25:38)

シュトゥットガルト放送交響楽団 – Stuttgart Radio Symphony Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音:1954年3月30日/シュトゥットガルト(ライブ)

シュトゥットガルトのフルトヴェングラー

ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した演奏会のライヴ録音が復活です。

フルトヴェングラーはベルリン・フィル、ウィーン・フィルの楽旅で度々シュトゥットガルトを訪問したものの、シュトゥットガルト放送交響楽団を指揮したのはこれが唯一。

自作の大作交響曲第2番をメインに据えているだけあって、気合十分の演奏です。もちろんベートーヴェンの交響曲第1番は素晴らしい名演。

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第1番 ハ長調 Op. 21
Symphony No. 1 in C Major, Op. 21

1.(08:31) I. Adagio molto – Allegro con brio
2.(06:48) II. Andante cantabile con moto
3.(03:44) III. Menuetto – Allegro molto e vivace
4.(06:09) IV. Finale: Adagio – Allegro molto e vivace
total(25:12)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音: 19 September 1954, Berlin

ブラームス: 交響曲 第1番 ハ短調 作品68、ベートーヴェン: 交響曲 第1番 ハ長調 作品21

アナログ期、録音物の記録媒体として、レコードほど優れたものはなかったと言われております。但し、未通針であること、保存環境が良いことなどが条件となります。これらの条件を満たせば、レコードは、とれたてほやほやの音を、長く保つことが出来るのです。

この度、大阪で発見されたフルトヴェングラーのブラームス第1交響曲のレコードは、まさにこの条件を満たすものでした。最盛期のアナログレコードが、この条件で発見されるのは、今ではもはや珍しいことと言えましょう。

さっそく針を落としてみると、はたして、大変迫力のあるリアルなサウンドが再生されるではありませんか。プチプチノイズも皆無に等しく、録音して間もないマスターテープを聞いているかのようです。

フルトヴェングラーが、実際に目の前で指揮しているのかと、錯覚しました。もともとこの演奏は、同曲中フルトヴェングラーの暫定ベストとされる方は多いのですが、気迫の面で、51年の北ドイツ放響との同曲演奏に軍配を挙げる方も少なくありません。ところが、その気迫も、この復刻では、申し分なく再現されていると思われ、これよりは、総合的にすぐれたこの演奏を名実ともにベストにして良いのではないかと思われます。

余白には、フルトヴェングラー最後の演奏会のベートーヴェン第1交響曲を入れました。意外に明るい演奏です。あわせお楽しみくださいませ。
(オタケンレコード 太田憲志)

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