クレンペラーの名演探訪 マーラー交響曲第2番”復活”

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こんにちは、
ともやんです。

『Otto Klemperer The Collection(クレンペラー・コレクション)』というCD72枚組がVENIASから出ているボックスからマーラーの”復活”について書きます。

【CD】 クレンペラー・コレクション

クレンペラーは、マーラーの弟子というより仕事の斡旋をしてもらった恩人という感じです。

クレンペラーは、1905年にベルリンでオスカー・フリートが、マーラーの交響曲第2番を指揮した時、舞台裏のアンサンブルの指揮をした縁で、マーラーの推薦状でプラハで3年間の仕事にありつきました。その後もマーラーの推薦状でハンブルクの市立劇場で仕事をすることができました。

まさに20代の若かったクレンペラーに取っても恩人だったのです。

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クレンペラー マーラーの交響曲第2番”復活”を偏愛

さて、クレンペラーは、元々マーラーの下で働きたいという希望も持っていて、交響曲第2番のピアノ版まで編曲してマーラーに気に入られようとしていました。

ただ、その割には録音として残されている曲は少なく、交響曲は、第2、4番、7番、9番と大地の歌のみです。
しかもその中でも第2番を一番偏愛していて、録音だけでも8種類残されています。
そして上記の『【CD】 クレンペラー・コレクション』には、4種類が収録されています。

クレンペラー マーラー交響曲第2番”復活” 録音の記録

そこで、ここでクレンペラーのマーラーの”復活”の録音記録をチェックしてみましょう。

①1950年9月 シドニー交響楽団(ライブ)
②1951年5月18日以前 ウィーン交響楽団
③1951年7月12日 アムステルダム・コンセルトヘボウ(ライブ)
④1961年11月22-24日、62年3月15日、24日 フルハーモニア管
⑤1963年6月13日 ウィーンフィルハーモニー(ライブ)
⑥1963年12月19日 フィルハーモニア管(ライブ)
⑦1965年1月29日 バイエルン放送響(ライブ)
⑧1971年5月16日 ニュー・フルハーモニア管(ライブ)

『クレンペラー・コレクション』には、①③⑤⑥の4種類の演奏が収録されています。
特に①と⑥は、クレンペラーのインタビュー集を編集した『クレンペラー 指揮者の本懐』の記載されているディスコグラフィーでは、記載されていません。

だから『クレンペラー・コレクション』は貴重な録音が収録されていることになります。

特に⑥のフィルハーモニア管とのライブは、ゆったりしたテンポでじっくり音を重ねていく様が壮観です。しかも終演後の聴衆の興奮ぶりは凄く、圧巻の名演だったと思います。

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クレンペラー マーラー交響曲第2番”復活” 63年ライブ

グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第2番 ハ短調 「復活」
Symphony No. 2 in C Minor, “Resurrection”
作詞 : 伝承 – Traditional
作詞 : フリードリヒ・ゴットリープ・クレプストック – Friedrich Gottlieb Klopstock

1.(20:06) I. Allegro maestoso
2.(11:05) II. Andante moderato
3.(11:28) III. In ruhig fliessender Bewegung
4.(04:22) IV. Urlicht
5.(33:58) V. Im Tempo des Scherzo: Im Tempo des Scherzo’s – Wild herausfahren – Langsam – Allegro – Langsam
total(80:59)

ヘザー・ハーパー – Heather Harper (ソプラノ)
ジャネット・ベイカー – Janet Baker (メゾ・ソプラノ)
フィルハーモニア合唱団 – Philharmonia Chorus
フィルハーモニア管弦楽団 – Philharmonia Orchestra
オットー・クレンペラー – Otto Klemperer (指揮)
録音:1963年12月19日

【CD】 クレンペラー・コレクション

まとめ

クレンペラー 指揮者の本懐』には、面白いことが書いてあります。

クレンペラーが、初めてマーラーを見たのは、1894年頃と言いますからまだクレンペラーが9歳ころのことです。当時、マーラーは、ハンブルク市立劇場の楽長で、クレンペラーも両親と近くに住んでいたようです。

その両親は音楽好きで市立劇場に出かけては、プログラムを持ち帰り、クレンペラー少年はそれをみてマーラーの名前を憶えました。

しかも学校の帰りに独特な歩き方をする男性を発見して、その男性を興味深く観察し、ああ、あの人がマーラーを知ったそうです。相当印象に残るような奇妙な人物だったようです。

そしてその約10年後に直接マーラーと出会い、就職を斡旋してもらったのです。もしかしてクレンペラーがマーラーと出会っていなければ、僕らは、クレンペラーの偉大な演奏を聴けなかったかも。

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