シェルヘン 名盤 マーラー 交響曲第5番

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こんにちは、
ともやんです。

4日前に観た映画が、尾を引いています。
観た直後は、なんだこの映画、良くわかなかったなぁと正直感じたのですが、後でじわじわとその面白さというか、不気味さというか、心の澱のように拭いきれずに残っているのです。

一つの要因として、マーラーの交響曲第5番が取り上げていたからかもしれません。
マーラーの交響曲第5番は、僕がマーラーの交響曲でも苦手で、取り方によっては支離滅裂な作品とも言えます。

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マーラー交響曲第5番が映画で使われた理由

さて、マーラーの交響曲第5番が映画で使われた理由を考えてみました。
設定が、主人公の指揮者リディア・ターが、薫陶を受けたバーンスタインが成し遂げたマーラーの交響曲全集にあと1曲と迫っていました。それが第5番だったのです。

では、なぜ映画の設定が第5番だったのか?第9番ではいけなかったのか?
多分映画的に考えて視覚的な面から選ばれたのではと思います。
第5番は、トランペット・ソロで始まり一気に強奏部分が出てくるので作品で映像的に映えるからでしょうか。
いやそれなら第2番「復活」のイントロもいいかも。

後は第5番の第4楽章は、ヴィスコンティの「ベニスに死す」で使われていることも要因かなと思います。

あとこの曲の持つ感情の起伏の大きさもあるかもしれません。

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シェルヘンの分裂気質がピッタリかも

マーラーの性格は、分裂気質で感情の起伏の激しい人だったようです。彼の顔を見て作品を聴いて、またエピソードを読んだり聞いたりして、間違っても温厚で大らかな人ったとは思えません。

むしろその真逆で、シビアは人だったと思われ、友達として付き合うには、面倒な人だっただろな、とも思います。

そんなマーラーの曲を演奏するなら、指揮者もマーラーに似た分裂気質の人だったら、ピッタリなのか、いやむしろ増幅されてより過激になるのか、どっちにしても興味深い演奏になるだろうと思えます。

ヘルマン・シェルヘンは、まさにそんな性格の振れ幅の広い人で、理路整然として演奏を残しているかと思うと晩年のルガノ放送響とのベートーヴェンは、まさに狂気が宿ったような演奏で、その振れ幅の大きさは流石という感じです。

この作品ではぜひ聴きたい演奏ですね。

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シェルヘン 名盤 マーラー 交響曲第5番

グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第5番 嬰ハ短調
Symphony No. 5 in C-Sharp Minor

1.(12:26) I. Trauermarsch
2.(13:36) II. Sturmisch bewegt, mit grosster Vehemenz
3.(05:39) III. Scherzo
4.(15:12) IV. Adagietto
5.(09:29) V. Rondo-Finale
total(56:22)

フィラデルフィア管弦楽団 – Philadelphia Orchestra
ヘルマン・シェルヘン – Hermann Scherchen (指揮)
録音: 31 October 1964, Live recording

マーラー:交響曲第5番(フィラデルフィア管/シェルヘン)(1964)

鬼才シェルヘンのマーラー・セット第1弾。第3番などは、どっしりと構えて格調の高さ品格すらも漂う名演です。

合唱指揮者がケーゲルであることは通なら良く知るところ、影響も計り知れないものがあります。

第1番、第2番は、スタジオ録音だけに、大人しく感じられるかも知れませんが、「巨人」のスケルツォのアクの強さ、「復活」原光の抉りの効いたド迫力も最高です。第5番に於けるシェルヘン改訂版の編集に至っては賛否両論真っ二つの問題作として知られております。第2番、第5番はステレオで、音質条件も抜群です。

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