クレンペラー ベートーヴェン交響曲第4番 1970

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こんにちは、
ともやんです。

1807年3月某日、ベートーヴェンの交響曲第4番が初演されました。

僕が持つ『ベートーヴェン事典』では、
“初演:1807年3月?日。ヴィーンのロプコヴィッツ伯爵邸での演奏会で。この日にピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58およびH.J.v.コリン作の悲劇『コリオラン』のための序曲Op.61の新作も同時に初演されている。”
となっています。

つまり初演されたのが3月1日なのかそれとも31日までのどの日かは記録として残っていないようですね。

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交響曲第4番の位置づけ

なんか偉そうな見出しを付けてみました。シューマンは、この交響曲のことを北国の2人の巨人に挟まれた清楚可憐なギリシアの乙女と言ったそうです。

北国の2人の巨人というのは、前作の第3番「英雄」と次の第5番ハ短調のことで、言い得て妙とも言えるし、むしろある一面しか評していないとも言えます。

僕は、中学生の時からこの作品が好きで、コンヴィチュニー&ゲヴァントハウス管でよく聴いていました。特に第一楽章の長い序奏から畳み掛けるように主部に突入していくところが特に好きです。

前作の「英雄」が広々として拡張路線だったのに対し、第4番は、第2番を端正で格調の高さをより洗練させた作品と思います。

個人的には、現在ベートーヴェンの交響曲では、第九についで演奏回数の多い人気曲第7番それにほぼ同時に作曲された第8番とに「英雄」と第4番のエッセンスが昇華したんじゃないかなんて勝手に思っています。

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クレンペラー ベートーヴェン交響曲第4番とは

ベートーヴェンの交響曲の偶数番と言われをされることあります。
つまり第2番・4番・6番「田園」・8番の4曲のことで、第3番「英雄」・5番・7番・9番の奇数番が、革新的で攻撃的な曲想に対しての言葉です。

つまり偶数番の作品は、伝統的で端正で穏やかな曲想ということです。
なるほどと思わないでもないですが。

そんな中で、往年の巨匠オットー・クレンペラーが、凄い演奏を残しています。僕は67年のバイエルン放送響、68年のウィーン・フィルとのライブ、そして今回紹介する70年のニュー・フィルハーモニアとのライブ。普通30分少々の演奏時間の作品を40分近く掛けた演奏で、悠然として演奏は、他の演奏が小賢しく感じてしまうほどです。

第4番は、端正で軽快に演奏されることが多いですが、クレンペラーはスタイルはまさに異次元の演奏なのです。

クレンペラー最後のベートーヴェン・ツィクルスは、1970年BBCの映像と録音で残されています。ただ現在Blu-rayでしか出ておらず、僕はわざわざBlu-rayプレイヤーを買いました。

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クレンペラー ベートーヴェン交響曲第4番 1970

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第4番 変ロ長調 Op. 60
Symphony No. 4 in B-Flat Major, Op. 60

1.(13:32) I. Adagio – Allegro vivace
2.(10:51) II. Adagio
3.(06:48) III. Allegro molto e vivace
4.(08:16) IV. Allegro ma non troppo
total(39:27)

ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 -New Philharmonia Orchestra
オットー・クレンペラー – Otto Klemperer (指揮)
録音:1970年6月2日火曜日午後8時より ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ロンドン

ベートーヴェン: 交響曲全集<限定盤> オットー・クレンペラー ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

2019年にリリースされた、クレンペラー生涯最後のベートーヴェン・チクルス、1970年ベートーヴェン生誕200年記念演奏会のBlu-ray BOXが、この度シンプルな装丁で再登場します!!
(普及版のため解説書は付属しません)

以前クラシカ・ジャパンで放映され、神々しいばかりの『田園』などマニアのあいだで話題となっていたクレンペラー最後のベートーヴェン・サイクル。

新たにリマスターされて画質・音質共に大幅にアップ。演奏の様子をクリアな映像で見ることができるため、楽員たちの献身的というほかない真剣な様子がそれだけでも感動的。1970年のテレビ放映プログラムなので音声はモノラルですが、情報量も十分に多くたいへん聴きやすい音になっています。

このベートーヴェン・サイクルのライヴ映像は、1967年にデッカを退職してBBCテレビ音楽部門の責任者になっていたジョン・カルショーの尽力で制作されたものです。カルショーは米キャピトル時代の1953年にクレンペラーと契約しようとして、上層部に阻まれ断念した過去がありました。

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