フルトヴェングラー ベートーヴェン 交響曲第5番 1943

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こんにちは、
ともやんです。

1月25日は、ヴィリヘルム・フルトヴェングラーの誕生日。
1886年1月25日ベルリン生まれ。
著名な考古学者を父に持ち、幼少期から幅広い知識と教養を優れた家庭教師から授けられました。
フルトヴェングラーもそんな教養を素直に受け入れ、歴史、文学、絵画などに強い関心を持って行くようになりました。しかし、それ以上に心を奪われたのは音楽で、特に作曲には情熱的に取り組むようになりました。

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指揮者ヴィリヘルム・フルトヴェングラー

フルトヴェングラー自身は、指揮もする作曲家と思っていたという記述を読んだことがありますが、音楽活動全般を見ていると作曲もする指揮者と思います。
また自身のピアノ独奏も聴いたことがありますが、ピアニストしても大成したと思います。

指揮者としては、1906年の20歳の時にミュンヘンフィルの前身であるカムイ管弦楽団を指揮してデビュー。
その後、1911年にリューベック、15年にマンハイムの歌劇場の指揮者に就任し、新進指揮者として注目されるようになります。

その後、1922年にアルトゥル・ニキシュの後任としてベルリン・フィルの常任指揮者に就任。また名門ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の指揮者にも就任し、まさに36才にしてドイツ最高峰の指揮者となったのです。

活躍の場は、ドイツの留まらず、ウィーン・フィル、アメリカのニューヨーク・フィルにも客演し、加えてバイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭でも中心的な指揮活動を展開して行きました。

僕が、クラシック音楽に馴染むようになった70年代は、ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルの終身指揮者と務め、帝王と呼ばれていましたが、まさに戦前のフルトヴェングラーはそんな存在でした。

しかし、その後、フルトヴェングラーには、いや多くの音楽家にとっては過酷な時代を迎えます。ナチスの独裁政治により、多くのユダヤ系音楽家が迫害され、生命の危機にさらされたのです。ヨーロッパから逃れてアメリカなどに亡命したりしました。またユダヤ系でない人もナチスを嫌悪しヨーロッパを離れた人もいます。

フルトヴェングラーは、1933年に帝国音楽局の副総裁を務めるなど、ドイツに留まり要職に就いていましたが、ナチスのやり方には反感をもち、ナチスの禁止する作曲家の作品を演奏したり、ユダヤ系の音楽家の救済にあったたりしました。

しかし、ナチスの崩壊と敗戦が決定的になった45年1月にゲシュタポが逮捕に動いているという情報を察知し、間一髪スイスに亡命して逃れました。

しかし、戦後は、結局ドイツに留まり要職に就いていたことで、ナチスに協力した嫌疑を掛けられ、2年間活動を禁止されました。

嫌疑も晴れ、ようやく復帰したのが1947年5月のこと。
しばらくは、45年からフルトヴェングラー不在の間常任を務めていたチェリビダッケとベルリン・フィルの指揮を分け合っていましたが、52年に正式に終身指揮者に就任しました。
しかし、フルトヴェングラーに残されていた時間はあまりありませんでした。

結局、54年11月30日に68歳の生涯を閉じたのです。

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ナチスが政権を執っていた1933年から45年までの12年間。
フルトヴェングラー47歳から61歳まで、まさに音楽家、指揮者にとってもっとも充実した時期と重なっています。

フルトヴェングラーのみならず多くの音楽家にとって過酷な時代だったのですが、フルトヴェングラーの場合は、記録としてはむしろドイツに留まったことが幸いして、帝国音楽局に貴重な録音が残されています。

ただ、この録音もドイツ敗戦後ソ連に没収され、ソ連のメロディアなどから発売されていました。その後、ドイツに返還されました。

1987年にはオリジナル・テープのコピー20本が、さらに1991年には押収した原テープが自由ベルリン放送(SFB)へ返還され、今日までベルリン・ブランデンブルク放送(RBB、旧SFB)のアーカイヴに保存されていました。

今回、当セットで使用されている音源のほとんどは、1987年と1991年に返還されたテープをベルリン・フィルが新たに28bit/96kHzでサンプリングしたもの。担当したトーンマイスターによると、これらのテープは30年という時間がたっているにも関わらず、非常に良い状態でサンプリングすることができたと言います。

また、以前から多くのCDで問題にされていたピッチについても、当時の正しい音程、速度を基準としてサンプリングを行っています。残念ながら演奏会記録が残っているのに、欠けているプログラムについては、テープがすでに消失した可能性がきわめて高く、当セットに収録されている音源が、現存する戦時のベルリン・フィルとフルトヴェングラーの演奏のすべてだと考えられています。

以上、タワーレコードに掲示されている以下のSACDハイブリッド盤の経緯です。

今日は、その中から43年6月に録音されたベートーヴェンの交響曲第5番を聴きました。
この録音が、いくつか出ていますが、「フルトヴェングラー 帝国放送局(RRG)アーカイヴ 1939-45」の銘打ったSACDハイブリッド盤は、より生々しさが伝わってきます。
また音質が70年近く前とは思えないほど鮮明で奥行きもあるので感動がストレートに伝わってきます。

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フルトヴェングラー ベートーヴェン 交響曲第5番 1943

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第5番 ハ短調 「運命」 Op. 67
Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67

1.(08:03) I. Allegro con brio
2.(10:50) II. Andante con moto
3.(05:54) III. Allegro –
4.(08:09) IV. Allegro
total(32:56)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 – Berlin Philharmonic Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音: 27-30 June 1943, Berlin, Germany

フルトヴェングラー 帝国放送局(RRG) アーカイヴ 1939-45

帰って来たフルトヴェングラー
70年の時を経て蘇るベルリン・フィル本来の響き!
「フルトヴェングラー 帝国放送局(RRG)アーカイヴ 1939-45」

戦時中(1939~45年)にドイツ帝国放送が収録したベルリン・フィルとフルトヴェングラーによる放送録音を集成したエディション。

嬉しいことに、初出音源も収録!(ラヴェル:ダフニスとクロエ第1組曲(抜粋)、シューベルト:交響曲「未完成」第2楽章)

ドイツ帝国放送のテープ音源としては、今現在の最高技術をもってサンプリング(28bit/96kHz)を行い、ベルリン・フィルが自ら手掛ける戦時のフルトヴェングラー最高音質の登場。

当時の演奏を再現できる最良の音源を選択。現存するドイツ帝国放送テープをすべて網羅し、オリジナル・テープを基本に、最高の条件でセット化。

22枚組SACDハイブリット盤。

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