クレンペラー&コンセルトヘボウ管 1947 ブルックナー他

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こんにちは、
ともやんです。

オットー・クレンペラー(1885-1973)は、生涯怪我や病気、そして政治、宗教、人種への差別などと戦った人です。

2メートルを越すと言われる巨体は、そういうことから考えるとかなり不便だったかもしれません。

その生涯をみると器用に経ち振舞ったという印象は全くなく、降りかかる災難や妨害をまともに受けてそれでも屈指い不屈の精神を感じます。

だから精神的には相当タフな人だったと思います。

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そして音楽に関しては、楽譜に書いてあることを全て音にするということに徹して、下手な演出はあまりやらなかったと思います。

だからそこから生まれる音楽は、一聴素っ気なく、愛想も何もないのです。
でもなんど僕はクレンペラーの音楽に惹かれるのでしょうか?

それは音楽に対するその真摯な姿勢ではないかと思います。

作曲家が心血を注いで作った作品をリアルに聴衆に突きつけるのです。
まさに真実を白日の下に曝すように。

そうすると聴衆は、一瞬目をそむけたくなります。
でも、おそるおそる目を見開いて凝視するとそこには真実が見えるのです。

1947年、60歳になったばかりのクレンペラーが名門コンセルトヘボウ管と共演した音源が、SACDハイブリッド盤で出ています。

そこから、ブルックナーの交響曲第4番”ロマンティック”をはじめ以下の曲を聴きました。

ブルックナーの”ロマンティック”は、いろいろ装飾されて演奏も多いですが、まさに素顔のままで出て来たような演奏で、第一楽章の速めのテンポからして、最初は取っつきにくいですが、特に第二楽章は、素顔のままの美しさを感じさせる名演です。

また終楽章のスピード感溢れる演奏も特筆もの。最初はなんだこの速さはと感じるのですが、聴いている内にその生気溢れる演奏に惹き込まれます。

ぜひ、聴いて欲しい演奏です。

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クレンペラー&コンセルトヘボウ管 1947

フェリックス・メンデルスゾーン – Felix Mendelssohn (1809-1847)
序曲「フィンガルの洞窟」 Op. 26
1.(09:30) The Hebrides, Op. 26, “Fingal’s Cave”

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グスタフ・マーラー – Gustav Mahler (1860-1911)
さすらう若人の歌(声と管弦楽版)
2.(03:20) Lieder eines fahrenden Gesellen (Songs of a Wayfarer) (version for voice and orchestra)
作詞 : グスタフ・マーラー – Gustav Mahler
ヘルマン・シャイ – Herman Schey (バリトン)

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アントン・ブルックナー – Anton Bruckner (1824-1896)
交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」 WAB 104 (1881年稿・ハース版)
Symphony No. 4 in E-Flat Major, WAB 104, “Romantic” (1881 version, ed. R. Haas)

3.(17:54) I. Bewegt, nicht zu schnell
4.(12:42) II. Andante quasi allegretto
5.(09:54) III. Scherzo: Bewegt
6.(17:31) IV. Finale: Bewegt, doch nicht zu schnell
total(53:49)

コンセルトヘボウ管弦楽団 – Concertgebouw Orchestra
オットー・クレンペラー – Otto Klemperer (指揮)
録音: 4 December 1947

クレンペラー指揮コンセルトヘボウ管弦楽団/伝説的アムステルダム・コンサート1947-1961

音質条件を考慮に入れなければ、クレンペラーの最も高水準な演奏を聴くことができるのはコンセルトヘボウ管弦楽団との録音だというのは、以前からよく語られることでした。

しかし、実際には、古いライヴ録音や放送録音ならではの物理的なスペックの問題もあって、マニア以外にはあまり顧みられることは無く、クレンペラーといえば、最晩年にフィルハーモニア管弦楽団を指揮したゆったり系の演奏が代表作として広く聴かれてきたというのが実情です。

確かに最晩年のスタジオ録音で聴ける拡大された情報の面白さは無類ですが、長きに渡って歌劇場やコンサートホールで指揮して生計を立てていたクレンペラーの音楽は、本来はもっと生気に富む力強いものでした。

そしてその音楽を築き上げていたのが、入念で厳しいリハーサルであり、その点で、世界最高レベルの反応力を持ったコンセルトヘボウ管弦楽団の優位は明らかであり、実際、1958年まではクレンペラーの客演回数はかなりの数に達していました。

しかし翌1959年にクレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団の終身指揮者に就任すると、大火傷で長期療養という問題も重なって客演回数は激減、そして1964年にフィルハーモニア管弦楽団が自主運営組織になると、以後、クレンペラーがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮することは無くなります。

もっとも、ウィーンやベルリン、ミュンヘン、ケルン、イスラエルなどには出かけていたので、今は無き音楽マネジメント組織、コロンビア・アーティスツの都合もあったのかもしれませんが。

ともかく、クレンペラー絶頂期のコンセルトヘボウ管弦楽団との演奏を、正規音源で、しかもSACDでまとめて聴けるというのはクレンペラー好きにとっては大事件であることは間違いなさそうです。
キングインターナショナル

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