こんにちは、
ともやんです。
ヴィリヘルム・フルトヴェングラーの欠点と言えるのか、政治に対して疎かったことと優柔不断な性格だったようです。
軍需担当大臣のアルベルト・シュペーア(1905-1981)は、ナチ高官の中では、比較的まともな知性と理性を持っていました。
中川右介著「カラヤンとフルトヴェングラー」によると、1944年12月、二人でこんなやり取りをしています。
フルヴェン「戦争はどうなっていますか。私たちは勝てるのですか」
シュペーア「絶望です。長くありません」
そして、シュペーアは、フルトヴェングラーに「貴方はナチスに狙われているから、ドイツを出た方がいい」と勧められました。
フルトヴェングラー 危機一髪
フルトヴェングラーはこの年の10月と11月に一人の女医の訪問を受けています。
この女医は、ナチ高官ヒムラーの妻の主治医でしたが、フルトヴェングラーの狙われていることを察知し知らせてくれたのです。
しかし、ここは”グズ”なフルトヴェングラーで、素早い決断ができず、とりあえず契約していたコンサートをこなしていました。
そして1945年1月23日、アドミラル・パラストで結果としてベルリンフィルの戦中最後のコンサートが行われました。
この時のプログラムは、モーツァルトの歌劇「魔笛」序曲、交響曲第40番。しかし第二楽章途中で停電となり、1時間後に再開され、最後はブラームス交響曲第1番で締め括りました。
実は、この日の朝、例の女医の訪問を再度受けていました。彼女が伝えるには、もう一刻の猶予もないとのこと。
いつ逮捕されていもおかしくない状況で、容疑は、ヒトラ暗殺未遂事件への関与でした。
当然そんなものはでっち上げです。
ここでようやくフルトヴェングラーは、自分の置かれていてる状況を察知し、翌日24日の列車でプラハ経由でウィーンに向かったのです。
幸いだったのは、ウィーンでのコンサートが予定されていたのです。
これほど立派なウィーンに行く理由はありません。彼は、友人、知人、そしてベルリンフィルのメンバーにな何も告げず、普段通りを装ってウィーンに向かいました。
ウィーンでは、1月28日と29日にウィーンフィルと2回のコンサートを行いました。
その時の録音がこれです。
僕の聴いたCDでは拍手も入っていますが、観客たちは明日をも知れぬ我が身を思い、もしかして最後のコンサートかもしれないという思いが、演奏終了後の拍手とブラボウから感じられます。
フルトヴェングラー フランク交響曲ニ短調
セザール・フランク – Cesar Franck (1822-1890)
Symphony in D Minor, M. 48
1.(16:45) I. Lento – Allegro non troppo
2.(10:20) II. Allegretto
3.(08:57) III. Allegro non troppo
total(36:02)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 – Vienna Philharmonic Orchestra
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー – Wilhelm Furtwangler (指揮)
録音: 28 January 1945, Musikverein, Grosser Saal, Vienna, Austria
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